「何が悪いの?」
「泣きたいくらい辛い。いっそ泣いて楽になりたい。」
「泣けるくらいならもうとっくに泣いている。」
「泣いて解決するわけでもなく、ただただ孤独に、ひたすら耐えているだけ」
話せたらどれだけ楽になるだろうか。
話せないからこその辛さがあなたの胸を締め付ける。
「元気出して」とか「やり返せばいいじゃん」とかそんな言葉を望んでいるわけではない。
「どうしたの?」
こんな言葉が痛いほど胸に突き刺さり、吐き出したいほどに胸が苦しくなる。
「気付いて!」
なんて言えないけど、心のどこかでそれを伝えたい気持ちで涙が溢れている。
言いたい。
けど言えない。
ちっぽけなプライドがそれを邪魔してくる。
「いじめられていることを話すのが恥ずかしい」と。
願いが叶うならひとつ…
「今この現状から逃げ出したい」
逃げ出せたら楽になれる。
幼いながらの、自分を守るための唯一の手段。
言い返せているならもうとっくに言い返してる。
やり返せているならもうとっくにやり返してる。
何が悪いの?
なんで僕なの?
なんで私なの?
たまたまお前らのその標的になってしまった?
それとも偶然ではなく、狙われた?
ねぇ?何が悪いの?
君は常にそう疑問に思っているよね。
よく「私(僕)もいじめられたから、いじめられている子どもの力になれる」とか言う人いるけど、あれって私から言わせてみれば、「何言ってるの?」って感じなわけで。
だって、同じ苦しみなわけないじゃん!
苦しいとか辛いとかそれ自体は共感できる。
けど、あたかもいじめられている人の全部の苦しみを分かってます発言が意味不明だしキモい。
同じいじめを受けたとしてもいじめの受け取り方は人それぞれ。
苦しみを共感してほしいわけじゃない!
苦しみから楽にしてほしい!
言えることが一つあるなら
君は絶対に悪くない。
「いじめられている人にも原因がある」とほざく人がいるけど、あれはいじめを認められない腐ったヤローだわな。
仮にいじめられている人にも原因があったと仮定して。
お互いがお互いに「いじめられている」なんて状況が出てくるかって話よ。
そんな話聞いたことない。
どっちかがいじめられていると訴えているね。
あとね、いじめを見て見ぬ振りする奴らもいじめている人と同罪やからな。
君が本当に大切にすべき存在は、いじめられている時に一番最初に君に声を掛けてくれた人。
社会でも同じことが言えるんだけど、他人って結構惨酷よ。
もしあなたがなにかに困ったら他人は離れていくから。
困っている時こそ声を掛けてくれた他人は大切にすべき存在。
いや、厳密に言うと、「大切にしても良いかもしれない存在」
と言うのもそこに漬け込んでくる悪い人もいるってこと。
善か悪か見極める必要がある。
正直、いじめでも同じことが言えて。
さっきいじめられている時に一番最初に声を掛けてくれた人を大切にって言ったけど、そこも見極めてほしい。
人によっては「罰ゲームでただ声を掛けただけ」と人間不信に陥るようなこともしてくるから。
けど、その見極めが出来た時、君は間違いなく強い。
学校を卒業し、社会に出た時、必ずそこでの強さが発揮されるから。
そこは信じてほしい。
人を見る目の強さは絶対的なスキルだから。
だからと言っていじめを肯定しているわけではない。
けど、いじめは不滅だと思ってる。
いじめが起きてしまう理由も分かる。
結局いじめてる奴らも弱いんだよ。
敵を作って自分を守ることしかできないから。
「敵の敵は味方」
まさにこれ。
逃げても良い。
反撃しても良い。
けど、やっぱり話してほしいな。
君の苦しみを。
いじめている君に読んでもらいたい